2007年01月30日
山火事・・・事件
それでは、「いなかもんが今日も生きている」 7日目。
何歳かは忘れたが、5歳の頃だと思う・・・
マッチ遊びって小さい頃は良くしたんやないですかね。
3人の仲間と、みかん畑で、草を集めて
「シュ~シュ~」とマッチをすって遊んでいたんです。
そしたら、「ぼ~~~」っと草にも燃え移って大喜び。
「あっ点いた~~~~~」
結構燃えるもんだなぁなんて遊んでいると
そばの草にも燃え移り、どんどん炎が上がりだす
ちびっ子消防隊なんていいながら
畑の下の水が出る蛇口まで、走って行き
バケツに水を入れて運ぶが
段々畑と重いので、2人でも運べない
そこで、私(ライオン丸)は、考えた。
今、思うとおかしいが
私の家の下の近所の家に行き
ライオン丸は「なんか火が出てきたよ~~~~~」
他人事のように言う
「燃えよるよ~~畑~~消して~~」
近所の20歳ぐらいのお姉ちゃんに話す。
びっくりした近所のお姉ちゃんと、その家の人が
一目散に走って、畑に向かい、
バケツリレ-が始まった。
ライオン丸達はただ見てるだけ
事の重大さにまだ、気付いていなかった。
でもおかげで、火は消えた。
もう少し遅かったら、上の山に広がり
山火事になっていた。
何とか上の山を焼かずに済んだ。
それから、またまたとうちゃん、かあちゃんから
「なんで燃えたんか---」と聞かれても
「知らん、火が出てきた。」とライオン丸。
でも、しっかり、ポケットにはマッチが入っており
御用となる。
またまた、鬼のような顔をして、怒られた。
汽車を止めた、ライオン丸事件のときと一緒だ。
そして、下の家の人達とは
それ以来、私は子供心に、避けられているようだった。
家でも燃やされたら、えらいこと・・・なんて思っていたんやないやろか。
そして、またまた、40になろうかしよる
今でも、酒飲むときの昔話の肴に、火事事件も登場する。
やっぱり、小さいときは火遊びはいかん。絶対。
私の息子にも言って聞かせていると
私自身、思い出し笑いをしながら
息子に、「なん笑いよおと~~~」と言われる。
何歳かは忘れたが、5歳の頃だと思う・・・
マッチ遊びって小さい頃は良くしたんやないですかね。
3人の仲間と、みかん畑で、草を集めて
「シュ~シュ~」とマッチをすって遊んでいたんです。
そしたら、「ぼ~~~」っと草にも燃え移って大喜び。
「あっ点いた~~~~~」
結構燃えるもんだなぁなんて遊んでいると
そばの草にも燃え移り、どんどん炎が上がりだす
ちびっ子消防隊なんていいながら
畑の下の水が出る蛇口まで、走って行き
バケツに水を入れて運ぶが
段々畑と重いので、2人でも運べない
そこで、私(ライオン丸)は、考えた。
今、思うとおかしいが
私の家の下の近所の家に行き
ライオン丸は「なんか火が出てきたよ~~~~~」
他人事のように言う
「燃えよるよ~~畑~~消して~~」
近所の20歳ぐらいのお姉ちゃんに話す。
びっくりした近所のお姉ちゃんと、その家の人が
一目散に走って、畑に向かい、
バケツリレ-が始まった。
ライオン丸達はただ見てるだけ
事の重大さにまだ、気付いていなかった。
でもおかげで、火は消えた。
もう少し遅かったら、上の山に広がり
山火事になっていた。
何とか上の山を焼かずに済んだ。
それから、またまたとうちゃん、かあちゃんから
「なんで燃えたんか---」と聞かれても
「知らん、火が出てきた。」とライオン丸。
でも、しっかり、ポケットにはマッチが入っており
御用となる。
またまた、鬼のような顔をして、怒られた。
汽車を止めた、ライオン丸事件のときと一緒だ。
そして、下の家の人達とは
それ以来、私は子供心に、避けられているようだった。
家でも燃やされたら、えらいこと・・・なんて思っていたんやないやろか。
そして、またまた、40になろうかしよる
今でも、酒飲むときの昔話の肴に、火事事件も登場する。
やっぱり、小さいときは火遊びはいかん。絶対。
私の息子にも言って聞かせていると
私自身、思い出し笑いをしながら
息子に、「なん笑いよおと~~~」と言われる。
2007年01月29日
も~も~らんど。
油山にこんなところがあるとは、22年間
知らんかったとよ。まだまだ知ってるようで
知らない事や、場所あるとよね。
今日は、写真も撮って、ブログに入れようと
探し回っています。すると、コ-トを車の中に入れてきて、
そのコ-トの中にデジカメを入れていたのを今、想い出したとよ。
またまた写真も入れられず。。。。
なんか、うっかり忘れる事ばっかで、自分に腹立つから
今日はなんか調子が乗らんとよ!
いかんいかん
2007年01月25日
さんまの干物。
私の田舎では、今の季節、北の海から
秋刀魚が太平洋を南下し、たくさん捕れるとよ。
普通、秋刀魚と言うと、そのまま焼いたのが
ほとんどですが、わたしんとこは違います。
干物・秋刀魚のすし・秋刀魚の鍋・秋刀魚の刺身・・・・・
その中でも、私のすいとうとは
「秋刀魚の干物」バリうまかとです。
ホントは写真を載せたいとですが、
まだまだブログに書くだけで、よう扱いきらんとです。
少しは、なろうて写真ば載せれるよう、なろうときます。
それでは、「いなかもんが今日も生きている」6日目。
太平洋と山深い、紀州の山々は、むかしっから
信仰や修行の場。世界自然遺産の歩くル-トになっている
私の村は、今でこそ、日本一と自慢出来るが
18歳までの子供の時は、そんなことは想ってもみんかった。
あっそれと夏は、毎年、近くの海水浴場で
人が溺れて、行方不明になっとった。
あるとき、海を、”かなつき”(もり)を持って
当然、素もぐりで、仲間とさざえや魚を捕っていると
堤防を3人の人が、走って行く。
一番前は、少し遅れて来ると言っていた、仲間の一人。
それでも私らは、獲物を探しながら、タイヤのチュ-ブを
浮き袋代わりにし、それに腹を乗せ、泳いでいる。
ず~っと泳ぐと、さっきの仲間が
ごろごろ石をぴょんぴょん飛びながら
波打ち際の方に、向かいよる。
「大きな声で何か叫んどる!!」
「ひとやぁぁぁ~~~」
「人やぁぁ~~~」
「しんどるど~~~」
「死んどるど~~~」
やっと聞こえた、何も言わず、海の中を、水中眼鏡ごしに
見た。なんか出てきそうな感じがした。
何も考えず、全力で、泳いだ。岸に上がった。
むちゃくちゃ怖かった。
初めて、遠目に水死体を見た。真っ白で膨張している。
臭いも凄い。
げろはいた。
さっきまで、近くを泳いでいた。海の中で、魚を
見つけず、人間と遭遇しなかっただけ
良かった。
それは、10km以上離れた、海水浴場で10日以上前に
行方不明になった人だった。
潮の流れが、私の住んでる、荒磯の海に流れている。
言葉をなくしたのと怖いのとで、その日は、
家に帰った。
でも2.3日するとまた、海に出て、かなつきを手に
魚を追っていた。
嫌な事は忘れる。すぐに!!これはこのころから
身に付いていたかもしれん。
でもその後、私も、何回か海で溺れ死ぬぐらい
大きな波のとき、泳いだことがあったが、
海は、好きだけど、ナメタラ!!イカン!!
上手に付き合うことを身をもって太平洋の海は
教えてくれた。
秋刀魚が太平洋を南下し、たくさん捕れるとよ。
普通、秋刀魚と言うと、そのまま焼いたのが
ほとんどですが、わたしんとこは違います。
干物・秋刀魚のすし・秋刀魚の鍋・秋刀魚の刺身・・・・・
その中でも、私のすいとうとは
「秋刀魚の干物」バリうまかとです。
ホントは写真を載せたいとですが、
まだまだブログに書くだけで、よう扱いきらんとです。
少しは、なろうて写真ば載せれるよう、なろうときます。
それでは、「いなかもんが今日も生きている」6日目。
太平洋と山深い、紀州の山々は、むかしっから
信仰や修行の場。世界自然遺産の歩くル-トになっている
私の村は、今でこそ、日本一と自慢出来るが
18歳までの子供の時は、そんなことは想ってもみんかった。
あっそれと夏は、毎年、近くの海水浴場で
人が溺れて、行方不明になっとった。
あるとき、海を、”かなつき”(もり)を持って
当然、素もぐりで、仲間とさざえや魚を捕っていると
堤防を3人の人が、走って行く。
一番前は、少し遅れて来ると言っていた、仲間の一人。
それでも私らは、獲物を探しながら、タイヤのチュ-ブを
浮き袋代わりにし、それに腹を乗せ、泳いでいる。
ず~っと泳ぐと、さっきの仲間が
ごろごろ石をぴょんぴょん飛びながら
波打ち際の方に、向かいよる。
「大きな声で何か叫んどる!!」
「ひとやぁぁぁ~~~」
「人やぁぁ~~~」
「しんどるど~~~」
「死んどるど~~~」
やっと聞こえた、何も言わず、海の中を、水中眼鏡ごしに
見た。なんか出てきそうな感じがした。
何も考えず、全力で、泳いだ。岸に上がった。
むちゃくちゃ怖かった。
初めて、遠目に水死体を見た。真っ白で膨張している。
臭いも凄い。
げろはいた。
さっきまで、近くを泳いでいた。海の中で、魚を
見つけず、人間と遭遇しなかっただけ
良かった。
それは、10km以上離れた、海水浴場で10日以上前に
行方不明になった人だった。
潮の流れが、私の住んでる、荒磯の海に流れている。
言葉をなくしたのと怖いのとで、その日は、
家に帰った。
でも2.3日するとまた、海に出て、かなつきを手に
魚を追っていた。
嫌な事は忘れる。すぐに!!これはこのころから
身に付いていたかもしれん。
でもその後、私も、何回か海で溺れ死ぬぐらい
大きな波のとき、泳いだことがあったが、
海は、好きだけど、ナメタラ!!イカン!!
上手に付き合うことを身をもって太平洋の海は
教えてくれた。
2007年01月23日
見つかりました。
20日の土曜に153万円の小切手を警察に届けましたが、
持ち主から連絡ありました。同じ事業を行う者として、大金
ホント良かった。良かった。
1日1善出来ました。
それでは、「いなかもんが今日も生きている」・・・5日目
私が、記憶にある4歳ぐらいから
小学校6年生までの遊びは
ホント今から、30年以上前といっても
テレビゲ-ムもあったし、もっと”ハイカラ”な遊びを
同年代の人達はしていたかもしれないんなぁ・・・っと想う。
今、想い出しても、”ふふっと”笑ってしまう。
この遊びや、おやつの確保方法は
年上の近所のにいちゃん達の”まね”から
自然に身に付いたものだった。
山の斜面に、段々と畑や田んぼがあり
それを下りると、太平洋だ。荒磯の海。
台風の時は、10メ-トル以上海面から上にあり
波打ちぎわからも30メ-トル以上離れている堤防を2メ-トルぐらいの直径の岩が、上がってくる。
凄い、迫力・威力だ
家もぽつん、ぽつんと建っているから
野球遊びが出来るのは、収穫の終わった
田んぼか、前はまだあった小学校の運動場。
山は”秘密基地”の建設とかわぐちひろしこと、探検の遊び場所。
山菜、たけのこ、マツタケ、やまもも、グミ、びわ
クワガタ・・・・・・・・・いろんなものがとれる
”秘密基地”は仲間との密談場所。
その中では、お菓子を食べたり、ジュ-スを飲む。
一番の楽しみの一つは・・・
大人の読む、”エロイ本”をドキドキしながら読む事。
なぜか、”ちんちんが大きくなる”・・・最初は不思議だった。
あるとき、高校生の私の兄ちゃんの友達を
「特別講師」に招き、「なんで子供は生まれるか。」
という、講義をしてもらい、やっとわかった。
何で私が生まれたか。
おまけに、一人で気持ちよくなる方法も教えてくれた。
家に帰り、風呂ですると、「びっくりした」
きききもちいい・・・ホント高校生の兄ちゃんの友達は
すすすごい人だと思った。
あともう一つの秘密基地での楽しみは
「たばこ」・・・大きな声では言えないが
私は小学校4年で”ショ-トホ-プ”を吸っていた。
と言うより最初は、”ぷかぷか”ふかしていた。
「大人になった」ような気がした。
それになんでショ-トホ-プかと言うと、2個出てくるからだった。
なんか、得した気分だった。
あとは秘密基地をアジトにして
”鳥”を仕掛けで捕る”こぐと”という
”仕掛け”を作り、毛をむしって焼いて食べる。
人の畑に入って
季節ごとのみかんを捕る。他のおいしい果物も捕る。
川では、”川えび”を捕ってフライパンに
醤油だけを入れて、焼く。これがうまい。
海は、夏。自分で”もり”私らで言う「かなつき」を作り
伊勢えび・たこ・おこぜ・石鯛・・・・・なんでも
「かなつき」でつけるものは、捕る。
サザエ・あわびも捕る。
泳げない時は、魚釣り、イカ釣り。
たまに、漁師が船でまわってきて、何か言っている。
が関係ない。海はみんなのもの。住んでいるものが
食べるだけ捕る事、何が悪いか!!
小さいながらにも、なんとなくそんなことは解っていた。
アマゾンやアフリカのテレビで観る、原住民も
言っている、その日、食べるだけ捕ると。
世界共通の人間の理性や知恵なんかなぁ・・・
持ち主から連絡ありました。同じ事業を行う者として、大金
ホント良かった。良かった。
1日1善出来ました。
それでは、「いなかもんが今日も生きている」・・・5日目
私が、記憶にある4歳ぐらいから
小学校6年生までの遊びは
ホント今から、30年以上前といっても
テレビゲ-ムもあったし、もっと”ハイカラ”な遊びを
同年代の人達はしていたかもしれないんなぁ・・・っと想う。
今、想い出しても、”ふふっと”笑ってしまう。
この遊びや、おやつの確保方法は
年上の近所のにいちゃん達の”まね”から
自然に身に付いたものだった。
山の斜面に、段々と畑や田んぼがあり
それを下りると、太平洋だ。荒磯の海。
台風の時は、10メ-トル以上海面から上にあり
波打ちぎわからも30メ-トル以上離れている堤防を2メ-トルぐらいの直径の岩が、上がってくる。
凄い、迫力・威力だ
家もぽつん、ぽつんと建っているから
野球遊びが出来るのは、収穫の終わった
田んぼか、前はまだあった小学校の運動場。
山は”秘密基地”の建設とかわぐちひろしこと、探検の遊び場所。
山菜、たけのこ、マツタケ、やまもも、グミ、びわ
クワガタ・・・・・・・・・いろんなものがとれる
”秘密基地”は仲間との密談場所。
その中では、お菓子を食べたり、ジュ-スを飲む。
一番の楽しみの一つは・・・
大人の読む、”エロイ本”をドキドキしながら読む事。
なぜか、”ちんちんが大きくなる”・・・最初は不思議だった。
あるとき、高校生の私の兄ちゃんの友達を
「特別講師」に招き、「なんで子供は生まれるか。」
という、講義をしてもらい、やっとわかった。
何で私が生まれたか。
おまけに、一人で気持ちよくなる方法も教えてくれた。
家に帰り、風呂ですると、「びっくりした」
きききもちいい・・・ホント高校生の兄ちゃんの友達は
すすすごい人だと思った。
あともう一つの秘密基地での楽しみは
「たばこ」・・・大きな声では言えないが
私は小学校4年で”ショ-トホ-プ”を吸っていた。
と言うより最初は、”ぷかぷか”ふかしていた。
「大人になった」ような気がした。
それになんでショ-トホ-プかと言うと、2個出てくるからだった。
なんか、得した気分だった。
あとは秘密基地をアジトにして
”鳥”を仕掛けで捕る”こぐと”という
”仕掛け”を作り、毛をむしって焼いて食べる。
人の畑に入って
季節ごとのみかんを捕る。他のおいしい果物も捕る。
川では、”川えび”を捕ってフライパンに
醤油だけを入れて、焼く。これがうまい。
海は、夏。自分で”もり”私らで言う「かなつき」を作り
伊勢えび・たこ・おこぜ・石鯛・・・・・なんでも
「かなつき」でつけるものは、捕る。
サザエ・あわびも捕る。
泳げない時は、魚釣り、イカ釣り。
たまに、漁師が船でまわってきて、何か言っている。
が関係ない。海はみんなのもの。住んでいるものが
食べるだけ捕る事、何が悪いか!!
小さいながらにも、なんとなくそんなことは解っていた。
アマゾンやアフリカのテレビで観る、原住民も
言っている、その日、食べるだけ捕ると。
世界共通の人間の理性や知恵なんかなぁ・・・
Posted by nakacyan at
11:45
│いなかもんが今日も生きている。
2007年01月22日
153万円をGET!!
なななんと153万円を20日、某所を歩いていると、何かなぁって
見てみるとおおお落ちていました。そのままふところにと想いが一瞬
なんて事はせず、博多警察署に
初めてこんな大金を。
とは言っても、小切手でしたが、現金と同じだからね。”魔”がささなくて良かった・良かった
早く見つかるといいなあ
さあいよいよ、今週もスタ-ト。4日目、「いなかもんが今日も生きている」
怪傑ライオン丸って知らない方が多いみたい。
それに私の生まれた田舎の事を、
書くのを忘れていました。
博多に、来て、今年の4月に、22年になるから、今まで生きてきた半分以上は、
九州は福岡。
生まれて、18年は、あの世界遺産の熊野だ。
紀伊半島の南。三重県の熊野って言うとこに住んでいた。
その中でも、みんなにいなかもんって言われていた。
いなかもんにいなかもんって言われてた。
そんな、田舎の中の田舎に生まれた。
今は、住んでいた時より、
田舎になり、な-んにもない。
信号も、店も、小学校も、まだまだない。
駐在所、郵便局、保育園に幼稚園、ガソリンスタンド、ス-パ-、ラ-メン屋、うどん屋、
まだまだない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
唯一あるのは、ライオン丸が止めた貨物列車と急行、特急が
猛スピ-ドで通過し、鈍行の汽車しか止まらない
”万年無人駅”
あとは、年老いた私の父ちゃん、母ちゃんと、
ほとんど、親戚関係の、年寄りだ。あっ、電気は来ている。電話も。
だから、22年前、私が、4歳の時に誓った。
都会に行く。とき以来、もっと田舎になっているからすごい。
私は保育園も幼稚園も行っていない。
理由は無かったから。前が荒磯で、後ろが深い山。
小さいときにおやつなんかは、木に登り、みかんを食べていた。野生のサルだ。
わざわざ母ちゃんが買って置いてくれるとかは、ない。
そんな甘くはない。小遣いだって自分で稼ぐ。
春は、山でワラビやぜんまいと採り売る。れんげ刈り、田植えの手伝いでバイトする。
夏は、クワガタを捕り売る。海の家でバイトする。
海に潜ってサザエ、あわび、魚をモリで突き食べる。
秋は、みかんや農作業の手伝いのバイト。
冬は、ドカタ仕事や、親戚の水道工事のバイト。
1年通しては、新聞配達。
若いにいちゃん達がいないから、中学生、高校生は
力仕事や、農作業のバイトには重宝がられる。
勤労少年であり、小学校の成績は優秀で、いつも2番。6年間だよ。
だって、入学式は2人、卒業式は3人だったから。
まだまだ続く・・・・・・・・・・・・・・
見てみるとおおお落ちていました。そのままふところにと想いが一瞬
なんて事はせず、博多警察署に
初めてこんな大金を。
とは言っても、小切手でしたが、現金と同じだからね。”魔”がささなくて良かった・良かった
早く見つかるといいなあ
さあいよいよ、今週もスタ-ト。4日目、「いなかもんが今日も生きている」
怪傑ライオン丸って知らない方が多いみたい。
それに私の生まれた田舎の事を、
書くのを忘れていました。
博多に、来て、今年の4月に、22年になるから、今まで生きてきた半分以上は、
九州は福岡。
生まれて、18年は、あの世界遺産の熊野だ。
紀伊半島の南。三重県の熊野って言うとこに住んでいた。
その中でも、みんなにいなかもんって言われていた。
いなかもんにいなかもんって言われてた。
そんな、田舎の中の田舎に生まれた。
今は、住んでいた時より、
田舎になり、な-んにもない。
信号も、店も、小学校も、まだまだない。
駐在所、郵便局、保育園に幼稚園、ガソリンスタンド、ス-パ-、ラ-メン屋、うどん屋、
まだまだない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
唯一あるのは、ライオン丸が止めた貨物列車と急行、特急が
猛スピ-ドで通過し、鈍行の汽車しか止まらない
”万年無人駅”
あとは、年老いた私の父ちゃん、母ちゃんと、
ほとんど、親戚関係の、年寄りだ。あっ、電気は来ている。電話も。
だから、22年前、私が、4歳の時に誓った。
都会に行く。とき以来、もっと田舎になっているからすごい。
私は保育園も幼稚園も行っていない。
理由は無かったから。前が荒磯で、後ろが深い山。
小さいときにおやつなんかは、木に登り、みかんを食べていた。野生のサルだ。
わざわざ母ちゃんが買って置いてくれるとかは、ない。
そんな甘くはない。小遣いだって自分で稼ぐ。
春は、山でワラビやぜんまいと採り売る。れんげ刈り、田植えの手伝いでバイトする。
夏は、クワガタを捕り売る。海の家でバイトする。
海に潜ってサザエ、あわび、魚をモリで突き食べる。
秋は、みかんや農作業の手伝いのバイト。
冬は、ドカタ仕事や、親戚の水道工事のバイト。
1年通しては、新聞配達。
若いにいちゃん達がいないから、中学生、高校生は
力仕事や、農作業のバイトには重宝がられる。
勤労少年であり、小学校の成績は優秀で、いつも2番。6年間だよ。
だって、入学式は2人、卒業式は3人だったから。
まだまだ続く・・・・・・・・・・・・・・
Posted by nakacyan at
13:25
│いなかもんが今日も生きている。
2007年01月20日
5歳の我が息子に。
「オ-イ」行くぞ~~~~
保育園に送り迎えの日課。いつものように声をかける。
でもなんかぐずぐずするので、「はよ~はよ~行くぞ~」
それでもぐずぐず
馬鹿チン、はよせい
今度は、息子が「馬鹿チンとか言うたら、だめとよ自分にふりかかるとよ」
はっとさせられ、ホントそやね。ごめんね
我が息子は、私以上に折り紙が上手で、
いい事、悪い事をキチンと判断できる、ちっちゃな大人でした。
それでは、「いなかもんが今日も生きている」・・・三日目。
鬼のような顔をして、テレビのある居間で今までに
見たことも、聞いたこともない。顔、声の大きいこと
「お前は、なななんていうことをしたんか~~~~~~」
(とうちゃんは少し興奮すると、どもりが出た。)
ホントそうです。今でこそ、言えるけど、貨物列車を何分かでも止めたら
莫大なお金がかかるんよね!!
胸を張って、貧乏だったので、そんなことになって金、払え
なんて昔の国鉄に言われても、逆立ちしても、出ない。自殺して保険金で払うといっても
たぶん足りないんじゃないかなぁ。
さすがの怪傑ライオン丸もこの時は、
”風を~~光を~~忍法、獅子へんげい”
では解決しなかった。
そのときの光景は、畳に正座し、頭を畳から離せないぐらい
顔見るのが恐ろしかった。そして、泣いた。ワンワン泣いた。・・・泣きつかれて
そのまま、ご飯も食べずに、寝た。
それでも、当時そんなに悪い事をしたとはライオン丸は想っていなかった。
なぜだかわからないが・・・
翌日、わかった事だが、貨車を止めたとき、降りてきた運転手か車掌が
近くにいたじいさんに、「どこに行った!どこの子だ!知ってるか!?」
と何度も聞いたそうだ。
でもじいさんは、「しらん。どこの子やろ!!??」ってとぼけた。
とぼけてくれた。
今、想うと恩人だ。
でも、小さな町ではすぐにこの大事件は、広まった。
「よしやん(とうちゃん)とこの、したの坊主が、貨車、止めた。そして逃げた」
それから小学校を卒業するまでは、遠く離れた親戚が、葬式、正月、盆と
大人達が集まる時にかぎって、酒のつまみで、語り継がれた。
イヤでイヤでしょうがなく、早く都会に出て仕事したいと
心に誓ったのは、このことが、最初の誓い・目標だったかもしれんなぁ。
今でも、はっきりと覚えているし、鮮明だ。
4歳の時の今になっては、語れる大事件。第1号。でもまだまだ事件は起こった。・・・
保育園に送り迎えの日課。いつものように声をかける。
でもなんかぐずぐずするので、「はよ~はよ~行くぞ~」
それでもぐずぐず
馬鹿チン、はよせい
今度は、息子が「馬鹿チンとか言うたら、だめとよ自分にふりかかるとよ」
はっとさせられ、ホントそやね。ごめんね
我が息子は、私以上に折り紙が上手で、
いい事、悪い事をキチンと判断できる、ちっちゃな大人でした。
それでは、「いなかもんが今日も生きている」・・・三日目。
鬼のような顔をして、テレビのある居間で今までに
見たことも、聞いたこともない。顔、声の大きいこと
「お前は、なななんていうことをしたんか~~~~~~」
(とうちゃんは少し興奮すると、どもりが出た。)
ホントそうです。今でこそ、言えるけど、貨物列車を何分かでも止めたら
莫大なお金がかかるんよね!!
胸を張って、貧乏だったので、そんなことになって金、払え
なんて昔の国鉄に言われても、逆立ちしても、出ない。自殺して保険金で払うといっても
たぶん足りないんじゃないかなぁ。
さすがの怪傑ライオン丸もこの時は、
”風を~~光を~~忍法、獅子へんげい”
では解決しなかった。
そのときの光景は、畳に正座し、頭を畳から離せないぐらい
顔見るのが恐ろしかった。そして、泣いた。ワンワン泣いた。・・・泣きつかれて
そのまま、ご飯も食べずに、寝た。
それでも、当時そんなに悪い事をしたとはライオン丸は想っていなかった。
なぜだかわからないが・・・
翌日、わかった事だが、貨車を止めたとき、降りてきた運転手か車掌が
近くにいたじいさんに、「どこに行った!どこの子だ!知ってるか!?」
と何度も聞いたそうだ。
でもじいさんは、「しらん。どこの子やろ!!??」ってとぼけた。
とぼけてくれた。
今、想うと恩人だ。
でも、小さな町ではすぐにこの大事件は、広まった。
「よしやん(とうちゃん)とこの、したの坊主が、貨車、止めた。そして逃げた」
それから小学校を卒業するまでは、遠く離れた親戚が、葬式、正月、盆と
大人達が集まる時にかぎって、酒のつまみで、語り継がれた。
イヤでイヤでしょうがなく、早く都会に出て仕事したいと
心に誓ったのは、このことが、最初の誓い・目標だったかもしれんなぁ。
今でも、はっきりと覚えているし、鮮明だ。
4歳の時の今になっては、語れる大事件。第1号。でもまだまだ事件は起こった。・・・
Posted by nakacyan at
11:52
│いなかもんが今日も生きている。
2007年01月19日
チョコレ-トshop
綱場町に会社がある関係で、チョコレ-トshopは毎日通る。
今日は、社長と二人で、中に入ってケ-キを買った。
ついでに、チョコも試食させてもらった。
バリうま-----
1個168円もするのに、
なんと太っ腹なチョコレ-トshopさん。大好き。
これが商売の出入り口さすがです。またまた今日も学んだな
辛いものも好きだが、甘いものも大好き
今は、スタッフと一緒にチョコケ-キを食べました。
飲み物は、やっぱりよもぎのお茶。やめられないし、ケ-キにあう。
もうひとふん張りするかあ
今日は、社長と二人で、中に入ってケ-キを買った。
ついでに、チョコも試食させてもらった。
バリうま-----
1個168円もするのに、
なんと太っ腹なチョコレ-トshopさん。大好き。
これが商売の出入り口さすがです。またまた今日も学んだな
辛いものも好きだが、甘いものも大好き
今は、スタッフと一緒にチョコケ-キを食べました。
飲み物は、やっぱりよもぎのお茶。やめられないし、ケ-キにあう。
もうひとふん張りするかあ
2007年01月19日
オ-ラの泉って・・・
今、はまっとりますよ。去年から
いろいろはっとさせられとります。
その中で、美輪さんの一言が、ズンときた。
”宿命は変えられないけど、運命は変えられる”
家も、設計図は最初に創る。(宿命)でも、そのあとに、設計変更したりと、いろいろ変えるでしょ。
ホント、その通りだと想う。
今日の朝、そんな事をふと想い出して。
それでは、「いなかもんが今日も生きている。」昨日のつづき・・・
4歳の頃だったと想う。今でも、田舎に帰ると、言われ、小さくなっているから
”風を・・・光を・・・忍法獅子へんげい”
今、自分はライオン丸。(トラだけど)
線路の前に立ち、型を決め、前から走ってくる貨物列車を4歳のライオン丸は、
止めて見せると、背中に刺した、自作の木製刀に「さっと」手を伸ばし、
300m程先の、トンネルの中で一つのライトだけが、どんどん大きくなって
いざ、トンネルから出てくる。
それでも、ライオン丸は、貨物列車をも止めてしまうぐらい、強い。
2人の家来も、そばでライオン丸を信じて待っている。
ピイイ---- ピピイイ-------
トンネルを出た貨物列車は、ライオン丸に気付いた。
今度はギイ---------凄い音
急ブレ-キをかけて貨物列車は、ライオン丸に近づいてくる。
”風を・・・光を・・・忍法獅子へんげい”
また型をとり、頑張っている。
しかし、100mぐらいまで迫ってきても、まだ貨物列車は止まらない。
どんどん近づく・・・・
その時、ライオン丸は家来を従え、逃げると言ったかどうかは定かではないが
みな一斉に、横の段々畑を駆け登った一目散に逃げた。あっという間に
逃げ去った。もの凄い勢いで
畑の中から、貨物列車が止まり、運転手かなにか1人の人が無人駅のホ-ムに
降りて、近くで畑仕事をしていた、じいさんに、何やら尋ねていた。3分か5分か、
畑からライオン丸は、息を殺して、その光景をただただ見ていた。
そして、ライオン丸とその家来は、な-んにもなかったかのように
家に帰り、外の手洗い場で、手を洗っていると、6歳上のにいちゃんが
学校から帰ってきた。上の畑に呼ばれ、
「お前、貨車(貨物列車)止めたんか-!???」
と聞かれ、「うん。。」
「馬鹿たれ、父ちゃん、母ちゃんドえらい怒っとるぞ----」
大変な事をしたと、なんとなく解ってきた。
そして・・・・・・・・
いろいろはっとさせられとります。
その中で、美輪さんの一言が、ズンときた。
”宿命は変えられないけど、運命は変えられる”
家も、設計図は最初に創る。(宿命)でも、そのあとに、設計変更したりと、いろいろ変えるでしょ。
ホント、その通りだと想う。
今日の朝、そんな事をふと想い出して。
それでは、「いなかもんが今日も生きている。」昨日のつづき・・・
4歳の頃だったと想う。今でも、田舎に帰ると、言われ、小さくなっているから
”風を・・・光を・・・忍法獅子へんげい”
今、自分はライオン丸。(トラだけど)
線路の前に立ち、型を決め、前から走ってくる貨物列車を4歳のライオン丸は、
止めて見せると、背中に刺した、自作の木製刀に「さっと」手を伸ばし、
300m程先の、トンネルの中で一つのライトだけが、どんどん大きくなって
いざ、トンネルから出てくる。
それでも、ライオン丸は、貨物列車をも止めてしまうぐらい、強い。
2人の家来も、そばでライオン丸を信じて待っている。
ピイイ---- ピピイイ-------
トンネルを出た貨物列車は、ライオン丸に気付いた。
今度はギイ---------凄い音
急ブレ-キをかけて貨物列車は、ライオン丸に近づいてくる。
”風を・・・光を・・・忍法獅子へんげい”
また型をとり、頑張っている。
しかし、100mぐらいまで迫ってきても、まだ貨物列車は止まらない。
どんどん近づく・・・・
その時、ライオン丸は家来を従え、逃げると言ったかどうかは定かではないが
みな一斉に、横の段々畑を駆け登った一目散に逃げた。あっという間に
逃げ去った。もの凄い勢いで
畑の中から、貨物列車が止まり、運転手かなにか1人の人が無人駅のホ-ムに
降りて、近くで畑仕事をしていた、じいさんに、何やら尋ねていた。3分か5分か、
畑からライオン丸は、息を殺して、その光景をただただ見ていた。
そして、ライオン丸とその家来は、な-んにもなかったかのように
家に帰り、外の手洗い場で、手を洗っていると、6歳上のにいちゃんが
学校から帰ってきた。上の畑に呼ばれ、
「お前、貨車(貨物列車)止めたんか-!???」
と聞かれ、「うん。。」
「馬鹿たれ、父ちゃん、母ちゃんドえらい怒っとるぞ----」
大変な事をしたと、なんとなく解ってきた。
そして・・・・・・・・
Posted by nakacyan at
11:49
│いなかもんが今日も生きている。
2007年01月18日
いなかもんが今日も生きている。
何人かの知り合いに、ブログの事を話していたら
早速、電話で、激励のメッセ-ジが
なんかうれしかな
1日一回は私記を書いて、これから日記がわりにと想っとります
さっき昼食済ませ、お腹いっぱい
早速、電話で、激励のメッセ-ジが
なんかうれしかな
1日一回は私記を書いて、これから日記がわりにと想っとります
さっき昼食済ませ、お腹いっぱい
タグ :ブログ
Posted by nakacyan at
14:21
│いなかもんが今日も生きている。
2007年01月18日
睡眠が大事!! そして、いよいよ私記を書いてみよっと。
この2ヶ月間ほど、3日間での睡眠が8時間。
そのうち2日間は2時間程しか寝ていなかったので
さすがに体力に自信がある私も、ダウン。
凄い頭痛にガガガ-------ん。
私がこよなく愛飲する、よもぎのお茶を飲んで、昼間の仕事の合間に
ぐっすり眠ると、気分爽快。
今日からは、身体の事を考え、スロ-な生活に心がけよっと
それでは、いよいよ私の人生体験記。
いなかもんが今日も生きてる。
かあちゃんからも生まれた時の事を聞きながら
自分を書いてみるか
自分では聞いてはないが、おギャー、おギャーとかあちゃんのおなかから、
なんとか自然分娩で生まれたのが、昭和の42年の2月の末。朝だ。
かあちゃんはもともと身体が弱く、3歳まで歩けなかった。
でも昭和元年生まれのかあちゃんは、私の上に、2人の元気な、ねえちゃん、にいちゃんを生んだ。
3歳まで歩けなっかた子がよ!! 凄いよ。
それに、41歳と言う高齢出産。私は、この世に生を受けず、おろされるか
生まれても、親戚の子供のいない夫婦から、生まれたら私を欲しいと言われていたようだ。
でもこの私のかあちゃんは、強かった。
家は貧乏していても、私と上の2人を高校までは、出してくれたんだから。
今も、私があかちゃんの時の写真は、1枚しかない。
何でかわからんが、1枚しかない。でもホント可愛らしい!!
私の息子のあかちゃんの時と、自分のあかちゃんの時の写真をならべると
やっぱり私の子供やなぁとつくづく想う。
いくら記憶をたどっても、覚えているのは、3歳ごろ事。
その時撮ってもらった写真にポ-ズする、可愛い私は、今も覚えている。
そして、記憶に残る、大事件が突然起こる。
そのうち2日間は2時間程しか寝ていなかったので
さすがに体力に自信がある私も、ダウン。
凄い頭痛にガガガ-------ん。
私がこよなく愛飲する、よもぎのお茶を飲んで、昼間の仕事の合間に
ぐっすり眠ると、気分爽快。
今日からは、身体の事を考え、スロ-な生活に心がけよっと
それでは、いよいよ私の人生体験記。
いなかもんが今日も生きてる。
かあちゃんからも生まれた時の事を聞きながら
自分を書いてみるか
自分では聞いてはないが、おギャー、おギャーとかあちゃんのおなかから、
なんとか自然分娩で生まれたのが、昭和の42年の2月の末。朝だ。
かあちゃんはもともと身体が弱く、3歳まで歩けなかった。
でも昭和元年生まれのかあちゃんは、私の上に、2人の元気な、ねえちゃん、にいちゃんを生んだ。
3歳まで歩けなっかた子がよ!! 凄いよ。
それに、41歳と言う高齢出産。私は、この世に生を受けず、おろされるか
生まれても、親戚の子供のいない夫婦から、生まれたら私を欲しいと言われていたようだ。
でもこの私のかあちゃんは、強かった。
家は貧乏していても、私と上の2人を高校までは、出してくれたんだから。
今も、私があかちゃんの時の写真は、1枚しかない。
何でかわからんが、1枚しかない。でもホント可愛らしい!!
私の息子のあかちゃんの時と、自分のあかちゃんの時の写真をならべると
やっぱり私の子供やなぁとつくづく想う。
いくら記憶をたどっても、覚えているのは、3歳ごろ事。
その時撮ってもらった写真にポ-ズする、可愛い私は、今も覚えている。
そして、記憶に残る、大事件が突然起こる。
2007年01月16日
生まれて初めてのブログ!!
生まれてこの方、自分の事をいろいろ話していておもしろい!! そんなとこで育ったの!! と言われるので、がばいばあちゃんを見てちょっとブログとやらに書いてみるかぁと想い、本日、スタ-トするに至りました。よろしく!!これは、実話で、私自身の経験、体験、感じた事・・・・・・全部、書いていきます。