2007年02月06日
いなかもん。
いなかもんが今日も生きている。 9日目。
あれは小学校5か6年ごろ
私の家は、積み木崩しのように
兄貴が荒れていた。
最後は、高校3年になったころ、警察の厄介になり
10人ぐらいが捕まった。少年院には行かなかったが
鑑別所には入った。
ねえちゃん、とうちゃん、かあちゃん、ばあちゃんは
どんな悪いことをしたかは知っている。なんで捕まったかは、今も私には何もいわない。
語ろうともしない。
ただ、高校に入学して、タバコや、バイクetc...
いろんな事で、かあちゃんは先生に呼び出され、
長いこと学校にも行かず、謹慎していたこともある。
髪は金金髪。眉毛は細く、ズボンは、1mボンタン。短い学ラン。
小学生の僕には、兄貴は、かっこよかった。
彼女もいたが、そこの高校の中でも一番可愛かった。
こんなネイちゃんが出来たら、なんでも買ってもらおう
と真剣におもっとった。
ある日、親父と、兄ちゃんが口論となり
ケンカした。口だけやなく、つかみ合いの
殴り合い。初めて、親父が殴られる姿を見た。
親父も、なんか「ぼーっと」していた。
兄貴は飛び出して出て行き、母ちゃん、ねいちゃんは
ただただ泣いていた。親父が呆然としている姿に
小学生の私は、なんかこんなことはしたらイカン。
親父とはこうなったらいかん。と子供ながらに思った。
そして、警察からの電話。
兄貴が捕まった。
新聞にも出た。少年Aで。鑑別所の面会には
とうちゃん、かあちゃんで行ったようだ。
初めて、両親に涙を見せ、
泣いて謝ったそうだ。
あの、兄貴が泣く・・・謝る・・・
ツッパリのさきがけだったあのころ
兄貴は、みんなからも好かれていた。
私も、兄貴の弟と言うことで、先輩から可愛がられ
守られていた。
その時の目標は、高校3年間を勤め上げ
卒業すること。それを父ちゃん、母ちゃんに
見せてあげることが、目標になった。
しかし田舎では、いろいろと言う人間がいる。
狭いし仕方ないが、小学生の僕には
なんとなく、冷たい視線を感じつつ。
でも、影でいろいろ言われるぐらい嫌なことはない。
-------------------------------------------------------------------------------------
・・・社会人に出て、大人になってもそんなことをする人がたくさんいるのに驚いた。・・・
-------------------------------------------------------------------------------------
鑑別所に入った兄貴の仲間は
その後やくざになったりしたり
いろんな道を歩んでいった。
死んだ人もいた。シンナー中毒だったり・・・
兄貴は、鑑別所で誓ったのだと思う。
年老いた両親を前に、涙し、
帰ってきたら、暖かく迎えようと
親父が切り出したから。
それから、兄貴が親父に食って掛かることはなかった。
その後、中卒の兄貴は、ガソリンスタンドで
仕事しながら、5年後には、大手石油会社の
正社員になり、母校の高校にも、人事の人間が
直接足を運び、求人活動するようになった。
がむしゃらに働いたんだと思う。
私よりはるかに頭が良かったから
社会でも認められたんだろうと思う。

あれは小学校5か6年ごろ
私の家は、積み木崩しのように
兄貴が荒れていた。

最後は、高校3年になったころ、警察の厄介になり
10人ぐらいが捕まった。少年院には行かなかったが
鑑別所には入った。
ねえちゃん、とうちゃん、かあちゃん、ばあちゃんは
どんな悪いことをしたかは知っている。なんで捕まったかは、今も私には何もいわない。
語ろうともしない。

ただ、高校に入学して、タバコや、バイクetc...
いろんな事で、かあちゃんは先生に呼び出され、

長いこと学校にも行かず、謹慎していたこともある。
髪は金金髪。眉毛は細く、ズボンは、1mボンタン。短い学ラン。
小学生の僕には、兄貴は、かっこよかった。

彼女もいたが、そこの高校の中でも一番可愛かった。

こんなネイちゃんが出来たら、なんでも買ってもらおう
と真剣におもっとった。
ある日、親父と、兄ちゃんが口論となり

ケンカした。口だけやなく、つかみ合いの

殴り合い。初めて、親父が殴られる姿を見た。

兄貴は飛び出して出て行き、母ちゃん、ねいちゃんは
ただただ泣いていた。親父が呆然としている姿に
小学生の私は、なんかこんなことはしたらイカン。


そして、警察からの電話。

兄貴が捕まった。
新聞にも出た。少年Aで。鑑別所の面会には
とうちゃん、かあちゃんで行ったようだ。
初めて、両親に涙を見せ、

あの、兄貴が泣く・・・謝る・・・
ツッパリのさきがけだったあのころ

兄貴は、みんなからも好かれていた。
私も、兄貴の弟と言うことで、先輩から可愛がられ
守られていた。
その時の目標は、高校3年間を勤め上げ
卒業すること。それを父ちゃん、母ちゃんに
見せてあげることが、目標になった。

しかし田舎では、いろいろと言う人間がいる。
狭いし仕方ないが、小学生の僕には
なんとなく、冷たい視線を感じつつ。
でも、影でいろいろ言われるぐらい嫌なことはない。
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・・・社会人に出て、大人になってもそんなことをする人がたくさんいるのに驚いた。・・・
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鑑別所に入った兄貴の仲間は
その後やくざになったりしたり

いろんな道を歩んでいった。
死んだ人もいた。シンナー中毒だったり・・・

兄貴は、鑑別所で誓ったのだと思う。
年老いた両親を前に、涙し、
帰ってきたら、暖かく迎えようと
親父が切り出したから。
それから、兄貴が親父に食って掛かることはなかった。

その後、中卒の兄貴は、ガソリンスタンドで
仕事しながら、5年後には、大手石油会社の
正社員になり、母校の高校にも、人事の人間が
直接足を運び、求人活動するようになった。
がむしゃらに働いたんだと思う。
私よりはるかに頭が良かったから
社会でも認められたんだろうと思う。


Posted by nakacyan at 15:34│Comments(0)
│いなかもんが今日も生きている。